公開: 2023年3月17日
更新: 2023年4月11日
日本の縄文時代、人々は、家族の一員が死ぬと、一定の期間、その亡骸(なきがら)を家の中や、竪穴式住居の入り口に置いたままにしました。死んだ人とその家族が、死後にも生活を共にすることで、死者が生き続けているかのように振る舞い続け、死者が安らかに死後の世界に旅立つようにように祈ったのでしょう。この習慣は、現代でも、通夜などと呼ばれている儀式と似ています。通夜の場合、医学が十分に進歩していなかった江戸時代に、死者が本当に死んだのか、一時的に気を失っているだけで、一定時間が経過すると意識が戻り、息を吹き返す可能性があったからだと信じられています。、
縄文時代の人々も、少し前のアイヌの人々も、通夜と同じような目的の儀式として「喪がり」を行ったと考えられます。縄文時代の人々や、最近までのアイヌの人々が行っていた「喪がり」の儀式は、現在の日本で行われている通夜の儀式とは少し異なる意味もあると考えられます。それは、通夜と比較すると、非常に長い期間に渡って亡骸と生活を共にするところです。喪がりでは、数か月から1年ぐらいの期間に渡って、亡骸をそのままに保つようにしています。特に長期間の喪がりを行った例では、遺体をミイラ化した例もあったようです。そうでない場合には、喪がりが終わった後の遺体を埋葬したり、焼いたりしていたようです。
このモガリでは、長期間に渡り遺体を腐敗しないように保つことが必要になります。そのための処理をしなければなりません。アイヌの人々の喪がりでは、死者の妻などが遺体の処理を行っていたことが、記録に残されています。このことから、喪がりは死者の霊を慰める目的だけでなく、死者に対する尊敬の念を表現するために、遺体が腐敗しないように処置し続けていたようです。